タダ飯だから、を理由に会社の飲み会にいくだなんて信じられない
みなさん、年末年始はなにかと飲み会が多く、体力的にも金銭的にも大変だったんじゃないでしょうか?
いやー、職場の飲み会って本当に本当に不思議ですよね。
東に西武があって、西に東武がある池袋ぐらい不思議です。
僕は以前、こんなことを書きました。
この考え方は今でも全然変わっていません。そしてその上で、さらに言えば
「タダ飯だからといって飲み会に行く人」が理解できません。
確かに場合によっては、経費精算にしてくれる飲み会もあるにはあります。
それはつまりタダ飯を食べられる機会ですよね。
でも、僕思うんです。
機会損失が半端じゃあないなって。
だって、飲み会なんて気苦労が多いじゃないですか。
経費精算となる飲み会ってことは、ほとんどすべてが何らかの大義名分の元に行われるものってことです。
ってことはそれなりの上役も出席しているだろうし、人数も多くなっているでしょう。
そうなると、周りの人のグラスの空き状況とかサラダの取り分けとか、まぁいろいろ考えることが多いわけです。
個人的には、たとえば後輩がそれらのことはやるべきだなんて考えはなくて、自分の分は自分でやればいいと思うんですけど、これもまた不思議なことに無能な上司ほどそういったことに気を使えない部下なんかに対して評価を下げたりするものです。
だから、僕がもともと気を使うタイプだとか、上司に取り入って評価を上げてもらおうとか、そういう内的な感情、志向とは一切関係のない、外的な要因、つまりは上司の考え方次第で不利益を被る場合があるわけです。
無能な上司は無限増殖するという恐ろしいバグが、世界には取り除かれることなく実在しているため、やっぱり君子危うきに近寄らずだなぁと感じるんです。
まとめると、飲み会なんてものにはリスクが伴っていて、それは往々にして上役のくる大規模な飲み会にこそ潜在しているということです。
そんな中で2時間過ごして、二次会の誘いをいなしながら電車に乗り込むだなんてコストが大きすぎますよ。
そんな犠牲を払うんだったら定時で帰って、家でのんびり過ごした方がはるかに有意義です。やりたいこといっぱいあるんだからさ。
自宅での有意義な時間 > 飲み会の楽しさ + 得する会費
または
自宅での無意義な時間 < 飲み会のコスト ー 得する会費
という計算式が成り立つ以上、僕は極力大規模な飲み会には参加しません。
不等号が真逆になるような、それこそタダで叙々苑に連れて行ってもらえるような飲み会なら僕だって参加しますよ。
一方で、飲み会に参加して上司に気に入られれば昇給、昇進の可能性が微増するという期待もあり、また、飲み会に参加しないことで上司に不満をもたれるというデメリットもあるため、長期的には飲み会に参加する方がメリットが大きいという考え方もあるでしょう。
なるほど、クソ食らえです。
上司にゴマをすり、かしずき、媚を売るという精神性を僕は持ち合わせていませんので、うまく立ち回れないのです。
そもそもね、人間には相性というものがあって、それは努力ではどうにもできないところに絶対的に存在しています。もちろん自ら敵を作ろうと周りにつばを吐く人は論外ですが。
だから、その相性について加味せず、ただの好き嫌いで人事評価をつける上司なんて人間としてもはや脳が機能していないレベルだし、そういったアナログな要素を排除しない評価制度を会社が採用している時点で自分の身の振り方を決め打ちしなければなりません。
たとえば問題が発生したとき、双方から事情を聞く、ということは小学校の先生ですら児童に対して行うことですよね? 小学校の先生ですら。
そんなの当たり前です。
それすら守られず、相対的に力のある一方だけの意見、事情だけで評価を下す組織は、もはや組織としての最低条件を満たしていないのです。
不思議な不思議なムラ社会ですね。
僕は僕が尊敬する人たちと同じ時間を共有したいです。
だが上司、テメーはダメだ。
あー、ゾッとした!