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【映画感想】シン・ゴジラ

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映画館で映画を見るなんて僕の人生ではほとんどないことなんですが、機会があったので見てきました。
世間の評価が非常に高く、その上で、石原さとみがどうとか、地方民が見てもわからんとか、色々と話題になっているのは認識した上で、僕なりを感想を書いてみます。

 

※以下、すでに観賞済みの方のみお読みください。 

 

総評

まず、僕の感想の方向性について。
逆張りしてるだけだろ、といわれると悲しいんですが、個人的にはそこまで絶賛できる内容ではありませんでした。
もちろん駄作だと断ずるつもりはありません。
単純に1800円だして見るほどの映画じゃないな、というのが僕の素直な感想です。

 

前提として、僕は歴代のゴジラを何作かすでに見ています。世代なのか、特に女性はゴジラという名前がゴリラ + クジラからきているということもあまり知らないようですね。そういう人たちからすれば、ゴジラはなんとなく知っている、モスラも聞いたことある、だけど詳しいことはよくわからない、という状態であり、そこで体験する庵野ゴジラはやはり稀有な体験であったかもしれません。結果、そんな要素が興行収入に大きく影響しているようです。
一方、過去のゴジラを見たことがあれば、ゴジラが核実験により変異した生物であるというのは常識の設定です。僕はゴジラについてある程度の知識を有した側でした。

 

では、少し細かい感想にいきましょう。

 

ミステリーとして

シン・ゴジラはミステリーじゃないだろ、というツッコミはちょっと待って下さい。

映画冒頭、横浜沖で漂流している小型船が発見され、海上保安庁による調査が行なわれます。そこに突如現れる原因不明の地響きを伴う事象。
この時点で誰もが、この小型船内で描写されたものが今後ストーリーに大きく関係してくることを感じたはずです。だって書き置きと場違いな折り鶴が意味深に映しだされますからね。


シン・ゴジラはミステリーではありませんが、一応謎解きが存在します。
前代未聞、まったくの未知の生物の襲来と、それを予言していた牧教授。なぜ牧教授は失踪したのか。牧教授の絶望は? 願いは? その思惑とは?
これらは、謎解きが行われる要素として充分であり、存在感抜群の石原さとみによって強烈に僕ら観客に対して、物語のそこここで設問として伝えられます。
したがって、シン・ゴジラという映画はミステリーではないにしろ、ミステリーのテイストを演出として使用していたことは否めません。少なくとも謎解きを一つのファクターとして有していました。

 

そして物語中盤、牧教授が残した折り鶴をヒントに、ゴジラという未知の生物の断片を人類は理解し、その攻略として後のヤシオリ作戦へと希望をつなげます。「好きにした」牧教授は、人類に選択肢を与えるために折り鶴を残したと言っていいでしょう。

 

僕が不思議で仕方ないのはこの部分です。
牧教授の思い、迫り来るゴジラ、抗う人類。これらの要素の中心はもちろん抗う人類です。つまりは矢口率いる巨災対チーム。核兵器使用までの時間が刻一刻と迫り、なんとか牧教授の思考をたどり、日本を焼け野原にしないための策を考えます。
牧教授の残した暗号は一向に解けず、時間だけが過ぎていくなか、「なぜデータではなく紙なんだ!」という一言から、矢口の頭に折り鶴がフラッシュバックしました。

 

いや、どう考えても遅すぎるだろ!

 

牧教授が小型船で失踪したことは明らかになっており、そこに書き置きがあったのです。なぜ今まで誰も折り鶴の存在に着目しないのでしょう?
ゴジラの存在に人類で唯一たどり着き、妻への想いが消えぬまますべてを放棄した牧教授。そんな教授が、ただ平和への祈りのために折り鶴なんて残すんでしょうか? 好きにしたのに?
つまり、折り鶴には必ず意味があると考えるのが自然な流れです。にも関わらず、巨災対チームはそのヒントにずっと気づけずにいました。

 

このシナリオに僕は白けてしまいました。
ミステリー小説において被害者のダイイングメッセージについて誰も気づかない、話題にしないという愚行です。そんなわけないでしょ。
未曾有の危機だったから慌ててた、テヘペロ! では説明できないスルーです。
正直、早く気づけよ、とずっと思っていました。誰か折り鶴について話せ、と。

 

当然ながら、この映画の主軸はここではありません。謎解きは一つのファクターではありましたが、すべてでは決してありませんでした。だから、この一点のみにおいて鬼の首でも取ったかのように騒ぎ立てるのは無粋でしょう。
とはいえ、僕は中盤までこのストレスに晒されたがゆえに、気分が盛り下がったのでした。

 

この映画、実際のところシナリオなんてあってないようなものです。
ゴジラがでてきてパニックになった日本の中で、教授のヒントを元に優秀な人たちが頑張ったおかげでなんとかゴジラを固めることに成功しました。
というストーリーです。これ自体にはなにも文句ありません。ゴジラ映画とはそういうものです。
でも、ミステリーテイストを織り交ぜるなら、カタルシスを与えないといけないんじゃないでしょうか。反対にストレスを感じさせられるなんて。登場人物全員が頭悪い物語ってつまらないじゃないですか。うさぎドロップみたいに。

 

オタクとして

次に、庵野監督の世界観についてです。後述しますが、シン・ゴジラエヴァファンを意識しているのか、それとも庵野監督はもはやエヴァの呪縛から逃れられないのか、とにかく庵野監督のこれまでが如実に表れた映画でした。

 

その中でも僕が特に気になったのが、オタクへのメッセージです。

作中、臭い言葉のオンパレードなんですよ。

 

ゴジラ出現後、何も決められない政府官僚。グズる首相。寄せ集められた巨災対チーム。半分の命を失いながらも寝ずに頑張る優秀な面々。
これらの存在は映画として大切です。この映画の一つの特徴として、ゴジラを沈黙させるに至ったその功労者は「チーム」であったことが挙げられます。ハリウッド映画では絶対にないこの展開はよくも悪くも日本人的といっていいでしょう。

 

順番にいきます。
何も決められない政府官僚とグズる首相。
この部分はゴジラ出現から20分程、非常にコミカルに描かれました。映画館では笑いが起きていたほどです。この描写は、まさに僕ら2016年を生きる日本人の嘆息によりそっています。
僕らは官僚を敵とし、お役所仕事の公務員に腹を立てています。3.11のとき、なぜ民主党なんかが政権をとっていたのか。そういった、抽象的だけど共通認識として形成されているパラダイムを利用して、「やっぱり政府はダメだ」と観客に共感してもらうことを牽引力として映画は始められました。
この演出、それで充分じゃないですか。笑いが起きるほどに牽引力としては成功しているのです。
それなのに、作中で仕切りに政府批判が言語化されます。

「文書がないと動けないやつらなんだ」
「こんなときまで議会を通さないと行けないなんてお役所のやることはいつも一緒だ」

 

いや、もう充分伝わってるから!
それわざわざ言わなくていいから!

 

これはつまり、エリート批判です。エリート層への反発、不満、羨望を隠した蔑み、そういったものをわざわざ言語化して、観客の共感すら飛び越えて「植え付け」を行いました。

 

そして結成される巨災対チーム。
この説明がなんとも臭い。
「出世に無縁な霞ヶ関のはぐれ者、一匹狼、変わり者、オタク、問題児、鼻つまみ者、厄介者、学会の異端児、そういった人間」
ほら、オタクが好きな人たちでしょ(オタクって言っちゃってるし)。

 

出世を望むなんてダサい。俺たちはオンリーワン。その上でまだ見せていない、気付かれていない特別な力が自分たちにはあるんだ。そういう自己欺瞞に忙しいオタクたちを神格化し、臨機応変にゴジラに対抗するチームとして役割を与えています。
登場人物としてはいいんですよ。キャラが濃い人だって現実にいっぱい存在しますよ。でも言語化すると一気にチープになり、臭くなるんです。
人物を描写するとき、言語化するというのはエンターテインメントでは御法度です。それは描写ではなく説明です。説明ゼリフがダメだといっているわけではありません。観客を置いていかないためにも説明ゼリフは必要です。人物の説明をしすぎていて、かつそれを押し付けてきていることを問題視しています。

 

タマ作戦の失敗によって半分が命を落とす巨災対チーム。
この部分でも、観客は巨災対チームを応援する空気に充分なっているにも関わらず、高良健吾の口から巨災対チームを礼賛するセリフが飛びだします。
家族がいるものもいる、寝る時間すら惜しんで、もちろん風呂になんて入っていない、だから矢口のシャツが臭い。
もうね、自画自賛のオンパレード。挙句の果てに、日本人はまだまだやれる、とまでいってしまいます。
これは明らかに観客に向けて発せられています。俺たち日本人は立派なんだよ、と。

 

何日も風呂に入っていないから矢口のシャツが臭くなっている。それを尾頭ヒロミが冷酷につきつける。
たったこれだけで描写は完了するはずなんです。それまでに巨災対チームの頑張りは我々観客に伝わっていますからね。

 

他にも、アメリカ大統領が「ジャパニーズの成長ってゴイスー!」とか言っちゃうし。


つまり、臭さの原因は庵野監督のメッセージ性です。
監督が役者にしゃべらせたい言葉をしゃべらせる。そしてその言葉を植え付けられ、なんだか気持ちいい観客は、自己肯定感を増して映画館をあとにする。
なんだ、日本もまだまだ捨てたもんじゃない、と。

 

いやいや、臭すぎます。なんじゃそら。

 

 

 

すみません。疲れたので一旦終わります。続きを書くかもしれないし、書かないかもしれない。

とりあえず一旦終わるのが、、、

 ベラーな選択ね!

 

 

僕はこの映画を見て、スピルバーグの映画を見ているようだと感じました。
話は単純で、全部説明してくれるし、映像は派手だけど必要があるのかよくわからない部分もあるし。
スピルバーグのよさはわかりやすさ。

 

ところで、尻尾ながすぎぃい!

 

良くも悪くも、そんな映画でした。

ゴジラ ムービーモンスターシリーズ ゴジラ2016(第二形態)