おとぎみち

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AIが世界を変える未来はこない説

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先日、こんな記事を書いた。

otogimichi.hatenablog.com

 

それを踏まえて提唱する。

 

AIが世界を変える未来はこない説!

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いや、ごめん。いきなり言いすぎた。
正確にいうと、

「AI」という言葉は近い将来使われなくなる説!

 

というのは、IT業界とはよくいわれるように本当に移り変わりが激しい世界だ。
新しい技術、概念が生まれては消えていく。
淘汰された結果、そのなかのほんの一部だけが生き残っていく。

 

生き残っていくわけだが、しかし、それが「当たり前」となることで使われなくなるものも中にはある。
それこそ「Web2.0」とかね。


21世紀に入って、ITはさらなる発展を遂げた。
そしてより一層身近なものになった。そのとき、世間ではいったいITはどう語られていたか。

 

Web2.0でみんなが繋がる!」
ユビキタスによってすべての情報がいつでも出し入れできる!」
クラウド技術によってすべてを一元管理!」
ウェアラブル端末さえあればなんでもできる!」
ビッグデータを活用しないと企業は終わりだべ!」

 

こんな例を挙げれば枚挙にいとまがない。
そして、時が経つに連れて、これらの言葉は廃れていった。
もちろんその経緯は異なる。

 

Web2.0は当たり前になったので誰もその用語を必要としない。
ユビキタスは完全に死んだ。もう言葉を発するのが恥ずかしいレベル。
クラウド技術も当たり前になった。というか同期処理が肝なので別に革新的な技術でも概念でもない。庶民が活用できるようになったことに意味があっただけ。
ウェアラブル端末は形を変えた。カテゴリーとして存在する程度。爆発的にヒットする固有名詞が生まれてもいないのに忘れ去られようとしている。ポータブル音楽プレイヤーとウォークマンと同じ関係性。
ビッグデータも当たり前。というか解析の方法論の一種なわけだし、ハード面が発展すればみんなそうしたいと思ってただけ。

 

まぁ、とにかく、いずれもバズワードだったわけだ。
そして他のバズワードと同様に時間が経てば古い言葉になっただけ。
つまりは、語られているような未来はこなかった。正確にいうと基盤的な役割に落ちついた。
個々の言葉は実は定義がしっかりしているので使う場面は多少あるんだけど。

 


「AI」はどうか。

 

「AIで世界が変わる!」
というのは語られ続け、そして現実となるか。

 

もちろん言葉自体はとても古い。手塚治虫の漫画にも「AI」はバンバン出てくるぐらい昔から使われている言葉だ。
そういう意味では上記のバズワードと少々性格が異なる。
最近いわれだしたのは、もちろん技術革新によって研究者の妄想が現実化しだしたからだ。


テーブルゲームのコンピュータソフトは、それこそ昔から研究されていた。そこにAIというスパイスを加えたら、というかアプローチ方法をAIにガラリと変えたら、あれよあれよと人間を蹴散らした。
だからニュースバリューがあった。
大衆というのは、身近でなければ、実用性がなければ見向きもしない。だからノーベル賞受賞のニュースを聞いても、何に役立つかについて真っ先に知ろうとする。
すごいことをすごいと素直に認められない。「すごいこと」の判断指標が「実用性」になっている。

 

やっとAIが「すごいこと」になってきたから世界が変わるような気がしてきている。

 

だから予言する!

 

「AI」という言葉は廃れる!
近い将来、AI技術を取り入れたなんらかのエンターテインメント性を帯びたサービス商品が大ヒットする。AIはそのサービス商品の名前に取って代わられるだろう。


 AI ≒ サービス商品名称


となるのだ。
ここでは仮にその言葉を「スゲーナスゴイデス」にしよう。

 

だから
「AIが世界を変える未来はこない!」
「スゲーナスゴイデスが世界を変える未来がくる!」

 


え? 詭弁ですか?

 

あー、ゾッとした!