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おとぎみち

たまにマジメなおとぎブログ

LGBTが認められる土壌は整っているか

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話題になったのは少し前だが、事件というのは報道されなくなってももちろん続いていく。
同級生にゲイであることを暴露され、自殺に追いやられた一橋大生の話だ。

www.jiji.com

 

この悲しい事件は、今後もLGBTについて語る上で一つの象徴的な事件として扱われるだろう。
ただし、申し訳ないが、この投稿では当該事件を主題とするわけではない。
以下は僕自身の経験と勝手な考えだ。

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知人からの告白

僕は常日頃から、それこそLGBTという言葉が市民権を得る前から、いわゆる同性愛者である人について特に嫌悪感はなかった。
(ここで「嫌悪感」という表現を使用すること自体がふさわしくないという批判があるかもしれないけど、ご容赦願います。あまりに言葉狩りをしてしまうと、冗長率が跳ね上がり本質が伝わらなくなる)


自分がなぜ今現在もそういう考え方なのかはわからない。きっかけがあったのかもしれないが自覚的じゃない。

 

だからなのか、20歳を過ぎた頃、大した出来事でもないけどこんな経験をした。具体的な時期や名称は避ける。

 

あるコミュニティに属するようになってニヶ月ほど経ったころだっただろうか。
そのコミュニティ全体で飲み会があった。飲食店の広さの関係とその場の流れで、多人数が座る席から少し離れた場所に座った僕の前には、同じように集団から外れる形になった女性がいた。
それなりに会話もする、だけどプライベートで会ったことはない同世代の女性だ。二人きりで他愛のない会話をして、少し経った頃、女性が自ら話題を変えた。

 

「私、いわゆるレズなんです。今、彼女と同棲してるんですけど」

 

確かにその女性について、付き合っている彼氏がいるらしいというのがコミュニティの共通認識だった。
そうか、本当は彼氏じゃなくて彼女だったのか。なんて感想を僕はのんきに考えていたわけじゃない。
そんなことよりも、なぜその事実を僕に告白してきたのか、その動機の方に興味があった。

だから前置きをして、わざわざ質問した。


「僕自身はレズの人に対して偏見も嫌悪もないつもりだけど、どうして急にそんな話を?」

 

だって、性的マイノリティの人たちはその事実を公表することに抵抗を感じているんじゃないのか?

 

答えはシンプルだった。
短い付き合いだが、毎日接する中でこの人は同性愛者に対してなんの批判もするような人ではないんだと判断したから、らしい。
普段の言動がそうだった、と。

 

そういえば日常会話の中でそんな話をしたことがあるかもしれない。
そして話は、彼女がレズであるということ以外、よくある同棲の大変さについての恋愛相談になった。

 

彼女の葛藤はわからず終い

LGBTの人に具体的に接したのは今のところこの一度きりだ。別に僕自身が好意を寄せられたり、その集いに呼ばれたりといった、ある種濃厚な経験ではない。


でも、彼女の中にはやはり葛藤があったんだろうかと、冒頭のニュースのような話題を見聞きすると思い出す。

 

葛藤とは、自らの性的嗜好を他人に告白する恐怖についてだ。
たとえ僕のことを、そういった人たちを差別しない側の人間だと判断したとしても、僕がその事実を他人に広めない人間であるかは別の問題だ。もし広められてしまえば、伝え聞いた心ない一部の人から差別を受けるかもしれない。
リスクは大きかったはずだ。

 

その後、彼女が再度その話を僕にしてくることはなかった。単に、二人きりで話す機会がなかっただけかもしれないし、悩みが解決したからかもしれない。彼女側は話の続きがしたくて機会をうかがっていた可能性もあるが、結局のところその一度きりになってしまい、コミュニティは解散した。

 

彼女の中で渦巻いていたであろう葛藤の具体的な論理思考はわからない。結果として、リスクよりも恋愛相談を打ち明けたい欲求が上回り、その相手として僕を選んだんだろう。
あっけらかんとした女性だったから、自殺にまで追いやられることになった一橋大生ほど思い悩んでいなかったのかもしれないが、自分が性的マイノリティであるという自覚はあり、少なくとも告白する相手を選ぶ程には慎重だった。

 

思い悩むと人は何を求めるか

彼女の葛藤の具体的な論理思考はわからないので、結果として恋愛相談を打ち明けた理由を考えてみる。


答えは簡単だ。心を軽くしたいからだ。
心が重くなると、人は死にたくなる。

 

簡単に解決しないから思い悩む。心が重くなる。だから誰かに打ち明けて、心を軽くできればと考える。

 

彼女の話の主題はあくまで同棲に関する相談だった。ただ、僕はそう感じなかった。具体的な相談よりも、性的マイノリティである告白の方が彼女の中では比重が重かったんじゃないかと思う。
僕に告白した理由を即答した点と、同棲の相談は性別を隠していても不自由なく話せる内容であった点からそう判断する。

 

つまり、彼女自身が心を軽くしたいと願うくらい、彼女は思い悩んでいたんだろう。

 

生きていれば誰でももつ感情だ。
僕だって外に助けを求め、友人に話を聞いてもらったことは何度もある。点数を気にする精神科医に薬を処方されるよりも遥かに現実的で、大切な治療方法だ。

 

そんな生きていれば誰でももつような思い悩む感情を、性的マイノリティに属する人たちは他の人たちよりも多く抱えている。開示できない形で。
だったら社会はもっと寛容にならないと、死にたくなっちゃうじゃないか!

 

三大欲求と同列で、人は愛されたいと渇望している。自分を知ってほしい。承認してほしい。できれば全てをさらけだしたい。
言ってはならないと自制していればなおさらだ。
彼女の中に、少なからず吐き出したいという願望があったことは否定できない。

 

だから問わなければならない。

 

LGBTが認められる土壌は整っているか

ようやく主題です。
えーっと、整っていません!

 

一昔前に比べれば、明らかに情報は開示されるようになった。
「知ってもらう」という大きな目標について、性的マイノリティの人たちはクリアしたと言っていいだろう。その弛まぬ努力で世間に周知されたと言っていい。

 

TVの影響力はすさまじい。
特異な能力をもった人たちが衆人の耳目を集め、そこで性的マイノリティであることを告白することによって、世間の目はだいぶ変わってきた。
漫画も小説も映画も、エンターテインメントとして追随したこともあって、その認知度は充分だ。公務員集団である区も動きを見せている。
いい傾向だ。

 

では、そろそろ日常生活を送る性的マイノリティの人たちも自らの心を軽くさせられるか。
まだまだ難しい。
それが一橋大生の不幸だ。
アメリカでも、レディー・ガガに勇気づけられ、ゲイを告白した学生がいじめの対象となり、遂には自殺した。

 

これほどまでに認知されているのになんでなの?

 

それは「知ってもらう」という目標達成が虚構だからだ。まやかしでしかない。
TVの中の世界だからだ。

 

連日、TVではバラエティ、報道、ドキュメントなどあらゆるジャンルにおいて性的マイノリティの人たちがなんらかの形で放送されている。
それでも彼らの存在は虚構という厚いガラスに覆われている。

 

もちろん理由は、TVそのものが虚構だからだ。知識の垂れ流しでしかない。そこにリアリティはない。

 

ところで、不思議で仕方がないんですよ。
例えば台風がきて猛烈な嵐となると、必ずといっていいほど翌日のニュースで、畑を見に行った人が氾濫した川に流されて死亡したというような報道がある。
気持ちはわかる。気持ちはわかるが、そこはもうちょっと気をつけてよ。
だって台風って毎年くるんだよ? 毎年似たようなニュースがあるんだよ??
それで流されてしまっていたら命がいくつあっても足りないでしょ。
亡くなった人を冒涜する気はありません。自衛しましょうよって話。畑を見に行っても台風はどうにもならないんだから、せめて安全な場所で過ごそうよ。
こういったニュースは枚挙に暇がない。お盆になると毎年水の事故が発生するのはどうしようもない。

 

これらはすべて正常性バイアスによって引き起こされている。
どんなに凶悪な事件を見聞きしようと、心のどこかで自分は大丈夫だろうと思い込んでいる。
当然ながら正常性バイアス自体を否定はしない。むしろなくてはならない感情だ。

 

でも性的マイノリティの人たちへの理解も同じ。
頭ではわかっているし、思い悩んでいる人たちを見てTVの前で物思いに耽っても、それは自分の知らない世界のどこかで起きている出来事だ。自分の身には振りかかることのない出来事の一つだ。
それ以上のリアリティはない。


換言すれば、性的マイノリティに属さない人たちは彼らを本質的に「知って」いない。

 

だから、未だに性的マイノリティの人たちが認められる土壌は整っていない。
TVがいくら放送しようとも、視聴者の胸にストンと落ちてくるような、感情的に理解する体験が想起されなければ、それは虚構の域をでない。
いざ目の前に性的マイノリティの人が現れると、動揺し、あぁこれが現実なんだなとこれまでの趣味嗜好に囚われた行為を起こすことになる。
性的マイノリティの人たちはずっと身近にいたはずなのに。

 

TVに映るもの全ては、そのジャンルを問わずタレント性を帯びているのだ。決して隣人の問題ではない。

 

だからリアリティを持て

もはやこれ以上、性的マイノリティの人たちに努力を課すことはできない。彼らは汗と涙で疲労困憊だ。


同様に、TVにリアルを放送しろということもできない。それは受け手側の問題だからだ。いくら4Kになろうが8KになろうがTVはTVだ。虚構を根本から変えることはできない。
VRは騙すという意味でTVとは異なる現象を引き起こしそうだけど。

 

だから性的マイノリティではない人たちが彼らに理解を示すしかない。
いい加減わかれ。
彼らは確実に存在するし、その存在が悪だなんてとんでもない。
いろんな恋愛の形があっていいし、そこに優劣は存在しない。
恋愛が成就するかどうかは当事者間の問題だ。必要以上に外野がとやかくいうことではない。

 

もちろん、かくいう僕だって、性的マイノリティの人たちを本質的に知っているかは怪しい。前述の経験なんて、特筆すべきものであるかもよくわからない。

見方をかえれば、僕は他人に興味のない冷たい人間なだけかもしれない。他人が誰を好きになろうが興味がない、というだけなのかもしれない。だからそれがLGBTに分類される人であったとしても、別にその分類を大きな特徴と捉えないだけなんじゃないか。

だから、僕自身も含め、みんなもっとリアルな想像をして、あらゆる準備をしないといけない。した方がいいんじゃないか。

 

 

また、ここで性的マイノリティの人たちを差別する言説に対していちいち反論することはしない。
あまり意味がないからだ。
差別する人たちは感情的になっているだけなので、論理性を内包していない。宗教論争と同じく、議論のしようがないのだ。
だって、根源が「なんだか気に入らない」という幼稚な感情によって駆動されているのだから。


哀しいかな。
ここでいくらこんなことを言おうと、差別するような人たちには届かない。
自分の対立軸に立つ人間の言説に耳を傾けることは、主義主張を同じくする者たちへの裏切りと同意だと信じて疑わないからだ。
なんたる視野の狭さよ。ぬるま湯に浸かり続けた結果、世界を小さくすることでしか安心できなくなっているではないか。

 

21世紀にそんな考え方、ダサいよ。

 


真島昌利さん、一言お願いします。

生まれたところや 皮膚や 目の色で
いったいこの僕の何がわかるというのだろう

 

あー、許せない!

 

青空

青空