なぜ社会人になってから政治思想の話をしてはいけないのか
参院選が終わって、やっといろいろ情報が出揃ってきた。すぐに都知事選あるけど。
ただし、社会人の間では暗黙のルールが結構ある。そのほとんどは、タブーとなっている話だ。
- 宗教の話
- 年収の話
- 学歴の話
- 家庭の話
- 子供の話
それぞれいろんな理由があるが、今回は政治の話がタブーとされていることについて考えたい。
というか、結論がでた。
一般的に、政治の話がNGとなっている理由は、「相手がどの政党、あるいは政治家を支持しているのかがわからないから」だ。
政治批判の対象が相手の支持政党であった場合は目も当てられない。
特定の業種、企業は法人として支持政党を持っている場合もあるわけで、それを知らずに大っぴらに批判しようものなら最終的にはクビになる可能性すらある。
あーやだやだ。
大人っておそろしい。
ところが最近、タブーの理由は別にあるなと感じた。
それはズバリ!
政治思想の話は知識合戦になるからだ。
政治を語るとき、それはまずもって経済の話とセットになる。
だって自分の意見をいいたいんだから数字の根拠も示さないといけないし、どの政党だって経済に対する公約をかかげているもんね(より良くしたいとかいってるだけの人もいるかもしれないけど)。
これが純粋な政治思想、政治学の話で、モンテスキューの本当の考え方とか民主主義がなぜいいかとか、そういう話であれば問題ない。それは学問の話であって啓蒙に重きを置かれるかもしれないしね。
でもお酒の入った社会人がそんな話を居酒屋でするわけがない。というか、できない。
学問の話は勤勉な大学生のやることだ。
生活に追われる社会人は、経済がよくなってもらわないと困るし、現状に不満があるからこそ話題が形成される。
政治経済の話が展開されるとこれはもう大変だ。
僕の経験上、いつの間にか知識合戦になる。
社会人に「知らない」は許されない。
マイナス金利? 無担保コール翌日物? マネタリーベース?
小選挙区比例代表並立制のメリット? ドント方式? 55年体制と元老院?
まるで世界情勢すべてに精通していて、日経デジタルマーケティングを隅から隅まで読んでいることが前提かのように空中戦が行われる。話についていけなくなったと悟られると、鼻で笑われ、土俵から引きずり降ろされるのだ。
わからない単語がでてくると、自分の得意分野にもっていこうとポジション争いが刹那的に発生し、制空権を得たものだけが堕ちていく敵機に唾を吐ける。
あぁ、おそろしきかな居酒屋個室WARS。
バカにされることに怯えるばかりに、自らが戦争仕掛け人と化す。
対処は一つしか方法がない。
よろしい、ならば冷戦だ!
みんな黙ってー! なにも言わないでー! この話はタブーだからー!
うんうん、めでたしめでたし。
こうやって一つのパラダイムが形成されるのであった。
あれ? じゃあ社会人はいったいなんの話ができるんだ?
そして誰も話さなくなった。
あー、ゾッとした!
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